こんにちは、すきとほる疫学徒です。
本日は久々にキャリアの話をしていこうと思います。
ツイートやブログで疫学や研究者キャリアの話を偉そうにしている私なのですが、実は数年前までは英語論文も書いたことがない(かろうじて読んだことはありました)ズブの素人でした。
でも、専門家になるべく大学院に進学した2年間でとある工夫をしたことで、短い時間で曲がりなりにも専門家と名乗れるような仕事につくことができました。
このブログをご覧の皆様の中には、「専門家になりたい、でもどうやったらいいか分からないし、どれくらい時間をかければいいか分からない」という方もいらっしゃるのではないでしょうか?
そんな方に向けて、私が2年間で専門家の卵になるために行った工夫を、できるだけ再現性のある形でお伝えすれば、短期間で専門家にキャリアチェンジしようとされる皆様の参考になるのではないか?と思い、今回のブログを綴っております。
専門家キャリアを志す前のわたし
専門家キャリアを志す前の私は、ちょっと良い大学の学部を卒業しただけの(自分で言うな)ただの人でした。
「何ができるの?」と聞かれても、「ガッ、ガッツがあります!!!」くらいしか返す言葉はありません。
このまま会社に入って、代替可能性の高い仕事をして、常に上司の顔色を伺いながら会社にすがりついていく、そんな自分が想像できてしまいました。
まさに、故人瀧本哲史氏が『僕は君たちに武器を配りたい』の中で語ってらっしゃる、コモディティ人材まっしぐらです。
「コモディティ化してはいけない」
「自分の人生の舵を、自分でとれるようにならねば」
そう思った危機感から、「何らかの」専門家にならねばならぬと思い立ちました。
これは、ズブの素人だった私が2年間で専門家の卵になる物語。
大学院への入学
「専門家になる!」ということを決意したは良いものの、肝心の「何の」専門家になるのかは、皆目見当もついていなかった私。
そこが一番肝心なのにねぇ。。。
一口に専門家と言えど、その姿は千差万別。
医師や弁護士などの士業。
歌手や画家などの芸術家。
野球選手やマラソンランナーなどのスポーツ選手。
そうした数多の星の中より私が目指したのは、医学研究の専門家、より細かく言うならば医療大規模データベースを用いた疫学研究の専門家でした。
Q:なぜ研究者か?
A:これまでの人生で、芸術やスポーツより勉強が得意な方だったから
Q:なぜ医学か?
A:必要性の高さが言うまでもなく認知されているから
Q:なぜ疫学か?
A:ドメイン分野より方法論の専門家の方が数が少なく、応用が効くと思ったから(そして統計は苦手だったから)
Q:なぜ医療大規模データベース研究か
A:ネットで調べた限りでは、いま特に必要性が高く、かつ専門家が乏しい、つまり需要と供給のギャップが大きかったので、比較的経験が浅くとも専門家の一員になれると思ったから
こうした思考回路を経て、「大学院に行くんじゃ!医療大規模データベースに特化した疫学の専門家になるんじゃ!」との決意を固めました。
ではここからは、短期間で専門家になるべく工夫した点を紹介していきたいと思います。
①専門家の需給ギャップが大きい分野を専門分野候補にした
これは既に書いていることですが、私が専門にしようと心がけた医療大規模データベースに特化した疫学専門家は、インダストリーにおいてはブルーオーシャンでした。
これが、私が2年という短期間でも曲がりなりにも専門家を名乗れるようになった理由の一つ目だと思います。
自分で言うのもなんですが、目の付け所が良かったなぁなんて思っちったりして。
これが、もし既に人材市場に専門家がわんさか溢れている分野だったとしたら、就活の書類選考ですら通っていなかったかもしれません。
私が大学院に入学した当時は、とある省令改正が行われたおかげで、インダストリーにおける医療大規模データベースの疫学人材の需要は超超超高まっていました。
私が観測した範囲では、製薬や医療機器の会社において、他のどの職種よりも需要が高かったポジションだと思います。
私の知り合いのヘッドハンターは、ヘルスケア業界における医療大規模データベースの疫学人材の獲得競争を見て、「まるで戦争のようだ」と比喩していました。
ただ需要が高いだけではこのような状況は生じませんね。
需要を満たすだけの供給があれば、人材獲得競争は過激化しません。
しかしながら、インダストリーにおいて医療大規模データベースに関する省令改正が行われたのがたった数年前でしたので、人材マーケットにはその専門家がほぼ流出していなかったのです。
私が外資製薬で働き始めて2年が経過した今ですら、各製薬企業が1~2人の疫学専門家をかろうじて雇えているという状況だと思います。
というわけで、私が専門家としての就職に成功した時点では、このようにインダストリーにおける疫学専門家はブルーオーシャンど真ん中もいいところ。
競合人材とぶつかることもなく、青い大海原をすいすいーと泳ぐことができたのでした。
これが、短期間で専門家キャリアに転身することができた理由の一つ目です。
②短期間で多くの論文を書きやすい専門分野を選んだ
専門家になるべく腕を磨くためには、研究者にとっての実践、つまり論文執筆の経験を少しでも多く積むことが大切だと考えました。
もし私自身が介入を行う、もしくはゼロからデータ収集を行うような分野だと、年間に執筆できる論文には限りがあります。
そんな中、医療大規模データベース研究であれば既にデータは手元にあるわけですから、研究のネタさえあれば幾らでも論文を書くことができます。
これが、上で述べた”人材の需給ギャップの差”に加えて、私が医療大規模データベース研究を専門に選んだ理由でした。
医療大規模データベース研究の専門人材は、今はまだ希少性が高く、日本の人材市場ではチヤホヤされていますが、日本のあちこちでMPHやヘルスケアデータサイエンスに関する研究科が新設され、人気を博しているところを見ると、遠からずレッドオーシャン化することは目に見えています。
そんな中でも埋もれずに専門家としての価値を発揮し続けるには、
- 国内外の多種多様な医療大規模データベースを扱い、
- 数多くの質の高い論文を書いてきた経験がある
ことが重要だと思っています。
業績は嘘をつきませんものね。
疫学は方法論ですから、医学分野で量的研究をやる以上はあらゆる研究において必要とされる専門性です。
疫学専門家として確固たる実力を有しておけば、自身が筆頭著者として進める研究だけでなく、他の研究者の研究にも研究デザインのコンサル、解析の実施などで参加することができ、研究者としての活躍の場が広がると考えます。
そのための実力を短期間で身につけるため、計画→解析→執筆→投稿&Reviseというサイクルをスピーディーに回すことができる医療大規模データベース研究を、専門として選びました。
③生産性が高く、教育制度が整っている研究室を選ぶ
医療大規模データベースに特化した疫学を学ぶためには、当然ながら医療大規模データベースを扱う研究室に所属することが大切ですが、それと同じくらい生産性の高さと教育制度が整った研究室を選ぶことを重視しました。
生産性の高さというのは、
- 年間の論文掲載数と主なJournal
整った教育制度というのは、
- 教授の人柄
- 教授からの指導環境
- 先輩学生からの指導環境
- 英文校正や学会参加への資金援助
などの観点から判断しています。
結果的に私が所属を希望した研究室は、
- 年間80本近くの論文を掲載
- 教授はいつでも、何度でも対面指導をしてくれる
- 優秀な先輩を指導係として配置するチューター制度
- 英文校正や(一部の)学会参加の費用は全て研究室からでる
など、大変充実した環境を有していました。
また、研究室の雰囲気としても学生のうちから高い生産性を発揮して論文を書き、より医学に貢献できる論文を、少しでもチャレンジングなJournalに掲載することを求める雰囲気が所属者全員に共有されており、とても居心地が良かったです。
振り返れば、3ヶ月に1本のペースで新しい論文を書き上げて、Journalに投稿することが求められていたので、所属していた2年間はほんとうに心休まる暇もなく、呼吸をするように論文を書かねばならない環境でしたが、「それくらいできて当然だろう」という体で教授も接してくださるので、卒業する頃には自分の中の「できて当然」の閾値がかなり上がっていたと思います。
結果的に、私も2年間で6本の筆頭英語論文を執筆することができ、英語論文なんて一行も書いたことすらなかった入学前の自分からすると、大きく成長をすることができました。
疫学専門家としての経験・知識に加えて、研究者としてのタフさを身につける機会をくださった教授、研究室の皆様には心から感謝しております(大変だったけどね)。
③英語を話す
言わずもがな、サイエンスの第一言語は英語です。
私はドメスティックな人間でしたので、大学院に入学する前は留学経験もなく、英語も何とか意思疎通ができる程度のレベルでした。
大学受験で鍛えていたので、読み書きは問題ありませんでしたが、話す聞くはからっきしです。。。
しかし研究者として生きていくと決めた以上は、その第一言語である英語ができなければ、得られるチャンスが激減してしまうと焦っていました。
逆に言えば、英語を身につけさえすれば、日本人としての生まれに縛られることなく、世界規模で活動の場を見つけることができるのではないかとも思いました。
ですので、大学院では「2年間で英語で疫学の議論ができるようになる」と決め、隙間時間があればトレーニングに励みます。
オンライン英会話や、English onlyの医学系講義の受講、留学生との交流、そして海外にあるヘルスケア系の機関での数ヶ月の研修などを通して、徹底的に鍛えました。
結果的に、大学院を卒業する頃には流暢ではないとはいえ英語で疫学の議論をできるようになり、今では外資系企業のGlobalチームで英語で仕事をし、また大学では英語が第一言語の研究室で活動することができています。
大学院で一念発起して英語を勉強していなければ、いまの仕事はなかったと思いますので、論文執筆でひぃひぃ言いながらも英語の学習を続けた大学院時代の自分に感謝しています。
やはり、努力は裏切らないですね。
④専門家になった後も腕を磨き続ける場を確保する
こうしてなんとか大学院での2年間を経て、疫学専門家の末席に居場所を確保することができました。
しかしながら、専門家は一生勉強。
勉強することが仕事のようなものですね。
医療大規模データベースや疫学は日進月歩で進歩していきますし、何より私はたかが数本程度の論文を書いたくらいの赤ちゃん専門家でしかないので、より一層勉学に励まねばなりません。
私の好きな医龍という医療漫画に、こんなセリフがあります。
腕ってやつは、上がってると感じてなきゃダメなんだよ。維持してると思ってんなら、落ち始めてるってことだ。
医龍 20巻より
疫学専門家としての腕を上げ続けるためには、当然ながら論文を書き続けられる環境に身を置かねばなりません。
しかしながら私は企業の研究者ですから、企業の肩書を使って自分の書きたい論文を書きたいように書く、なんてことは当然できません。
企業の研究者が追求すべきは、その企業にとって重要なリサーチクエスチョンであって、私個人にとって重要なリサーチクエスチョンではありません。
もちろん、企業にいるからこそ磨ける疫学専門家としての腕もあります。
若いうちから大規模予算の研究をリードできる、世界中の疫学専門家と協働できる、日本に限らずにさまざまの国の研究にjoinできるなど、変え難い経験をさせて頂いております。
しかし疫学というのは広く、深い世界ですから、私が所属する企業が専門とする分野以外にも疫学は存在します。
そのような、企業の所属だけでは手を伸ばすことができない疫学の部分でも学びを深めるために、自由に研究できる所属が必要だと思いました。
そんな時に、以前から一緒に研究させて頂いていた大学の先生から、大学でのポジションを打診して頂いたのです。
まさに渡りに船、二つ返事で受諾させて頂きました。
もちろん、本所属の企業からしたら副業に該当しますので、丁寧に中身を説明し、OKを頂いています。
先生には、かねてより色々な研究で研究デザインのコンサルや、解析担当を担わせて頂いていたので、こうした話につながったわけですが、これも大学院で身につけさせて頂いたスキルがあったからこそだと思います。
こうして大学のポジションを得たことで、自分の好きなテーマで、好きな時に、好きなだけ論文を書く環境を得ることができました。
今でも、大学の所属では年間の筆頭投稿論文5本、掲載3本をノルマにして頑張っています。
正直、本業として企業で働きながら、義務でもないのに論文を書き続けるのはモチベーション維持が大変なのですが(元来、私は怠け者なので…)、そんな時は上で紹介した医龍の言葉を思い出して、「いけないいけない、論文を書く手を止めたら、自分は専門家として終わりだな」と危機感を煽りながら頑張っています。
終わりに
いかがでしたでしょうか?
大学院に入学する前は、英語論文なんて一行も書いたことのないズブの素人の私が、2年間で外資系企業と大学で専門家として活動するに至るまでの道筋を、再現可能性を重視して綴ってみました。
「ジェネラリストとしてのキャリアに限界を感じている」
「専門家になりたいけど、何から始めたらいいわからない」
そんな方が、人生の新たな道を切り開く一助になれたらと思っております。
すきとほる疫学徒からのお願い
本ブログは、読者の方が自由に記事の金額を決められるPay What You Want方式を採用しています。
「勉強になった!」、「次も読みたい!」と本ブログに価値を感じてくださった場合は、以下のボタンをクリックし、ご自身が感じた価値に見合うだけの寄付を頂戴できますと幸いです。
もちろん価値を感じなかった方、また学生さんなど金銭的に厳しい状況にある方からのご寄付は不要です。
引き続き情報発信していく活力になりますので、ぜひお気持ちに反しない範囲でご寄付をお願い致します!