こんにちは、すきとほる疫学徒です。
これまでキャリアについては、私が外資製薬に行ってからのことを書いていたのですが、今回はそこに至るまでのキャリアパスとして、Master of Public Health(公衆衛生学修士)にフォーカスしたお話をしたいと思います。
なぜMPHを取得したのか?
コモディディティ人材ではなく、スペシャリストに
私は学士、MPHともに国内の同じ大学で取得しています。
学部時代は疫学、生物統計学を学んでおり(不真面目でしたので、”学んだ”などと言える身分ではないのですが)、そのためその延長線上にあるコースとして、MPHに行くことは私にとって自然なキャリアでした。
加えてMPHに行く動機となったのが、自身の専門性のなさと、専門性がないことによるキャリアの脆さです。
代替可能なコモディティ人材ではなく、スペシャリストになれ、という思想に関しては以下の瀧本さんの書籍をご参照頂ければと思いますが、学部卒後の私は、まさにコモディティ人材であることの身の置き場のなさを痛感していました。
私は一人旅がライフワークでして、学部時代は南米、アジアにとバックパックを背負って貧乏旅をしていました。
南米といえば、モーターサイクルダイアリーズという映画をご存知でしょうか?
ロードムービーの金字塔である映画ですが、若き日のチェゲバラがバイクとバックパック一つで友人と共に南米を縦断したという史実に基づく映画です。
ゲバラはこの旅の中で、多くの社会格差を目の当たりにします。
その中で、フィルムの中のゲバラの記憶に残のは、資本家階級に搾取され、その日暮らしで仕事を求めるチリの鉱山労働者、そして強烈な差別のもと隔離生活を送っていたハンセン病患者たちです。
その後成人したゲバラが、革命家としてキューバの英雄となった話はあまりにも有名ですが、この映画は「なぜゲバラが革命家としての思想を獲得したか」というテーマのもとに作製されています。
少し話がそれてしまいました。
「なぜ私がコモディティ人材ではなく、スペシャリストになることを選んだのか」というお話でした。
この映画の中のゲバラ、貧乏なんです。
おんぼろバイクを騙しだまし修理しながら、行く先々で人々に助けられることで食い繋ぎ、なんとか荒野を進みます。
ではなぜ人々は素性の知れぬ浮浪者然とした若者であるゲバラに手を差し伸べたのか。
もちろん、ゲバラの魅力的な人柄あってのことでしょうが、それと同じくらい大きかったのが、ゲバラが医学生であり、医学の知識を持っていたということです。
例えば、ゲバラは旅先で出会った老人の腫瘍を診察し、その結果、老人はゲバラに宿を貸します。
また、バイクが壊れた際には、「慈善医療の旅をする著名な医師」としてゲバラが取り上げられた新聞記事を見せることで、バイク屋にただ同然の値段でバイクを修理してもらったり。
そして、この映画のクライマックスであるハンセン病療養所にゲバラが滞在し、患者と交流する機会を得られたのも、ゲバラが医学生であったからに他なりません。
当時、バックパッカーとしてゲバラと同じように貧乏旅行をしていた私にとって、スペシャリティというのはこう見えました。
「過酷な環境の中でも生き残り、真実に近づくための手段である」と。
かなり気取った表現になりましたが、あの頃は世間知らずのナイーブな一学生でしたので、どうかお許しください。
兎にも角にも、このモーターサイクルダイアリーズでのゲバラの旅の軌跡、そして私自身のバックパッカーとしての経験を通して、私は「スペシャリティを持つことの意味」を痛感しました。
スペシャリティとして何を選ぶか
スペシャリストになることは決まったので、次に考えることは、「何をスペシャリティにするか」ということですね。
この時、とっくに20代中盤を過ぎていた私にとっては、いまさら一から別分野のことを学ぶというモチベーションも湧かず(もし学部入学時に戻れるなら、弁護士資格が取りたいです)、不真面目な学部生生活で少しは聞き齧っていた疫学・生物統計学あたりをスペシャリティとして学ぼうと考えました。
とはいえ、生物統計学の試験を2年連続で落とした私です、自分に生物統計学の適性があるとはとても思えず、結果的に消去法で疫学を学ぶことにしました。
しかし、疫学の中にも様々な分野がおり、私が入学したMPHではそれぞれの疫学分野ごとに研究室が分かれておりました。
栄養疫学、社会疫学、がん疫学、臨床疫学などですね。
その中で、私は医療大規模データベースを用いた臨床疫学を学ぶことに決めました。
理由は、
- 臨床疫学の教授が非常に魅力的であった
- 研究室が毎年多くの論文を出版しており、努力すれば業績を積むことができる環境があると感じた
- 医療大規模データベースを扱える人材のニーズが急激に高まっているそうだが、一方で人材の供給が遅れており、キャリアとして強みを感じた
などです。
これが、「なぜ私がMPHを取得することにしたのか」、「なぜ医療大規模データベースに特化した疫学をスペシャリティにしたのか」という理由です。
MPHで特に力を入れたこと
さて、上記の経緯でMPHに入学したからといって安心はできません。
MPHはただの学位でしかないので、MPHに加えて「こいつはスペシャリストとして信用できる」と誰からも思ってもらえるようなステータスを身につけねばならないと思いました。
それはもちろん、論文業績です。
疫学専門家はサイエンティストですので、どれだけ口が達者でも業績がなければ信用されませんし(逆に疑われますね)、どれだけ寡黙でも業績を積んでいれば評価されます。
ですのでMPH在学中は、「卒後、どこに行っても通用する業績を作るぞ」という気持ちで過ごしていました。
結果的には、MPHの2年間で5本以上の英語論文を執筆することができました。
もちろんこれは私の力というより、教授及び先輩方の丁寧かつ的確なご指導によるところが大きいです。
加えて力を入れたのが、英語です。
私は長期の留学経験がないため、MPH入学当初はとてもじゃないですが「英語、喋れますよ?」などと言える人間ではありませんでした。
バックパッカーとしてあちこち旅していたので、「貧乏旅でも困らない程度の英語力」くらいしか持ち合わせておりません(バックパッカーをされた方は分かると思いますが、カタコトでも全然成立します)。
しかし、MPHには疫学のスペシャリストになるために来ているわけですから、このままではいけません。
サイエンスの第一言語は英語なわけですから、「英語が話せません」ではとてもじゃないけどスペシャリストなんて言うことはできないと思いました。
というわけで、日々のスカイプ英会話に加えて、英語の授業や留学生と交流できる場に積極的に顔を出しておりました。
また、卒業前の数ヶ月間、研修という形でヘルスケア領域のとあるグローバル組織に留学し、そこでかなり英語力がブーストされたかと思います。
研修生という立場ではありましたが、一つのプロジェクトをリードし、完遂することができたので、「自分は英語で、日本人以外の人に囲まれてもそこそこパフォーマンス出せるんだ」という自信をつけることができました。
卒業、そして外資製薬に
MPH在学中に、「疫学、それも医療大規模データベースのスペシャリストになるんだ」と決意しましたが、「では、どこで働くか」ということを決めたのは、在学中2年目の夏くらいだったかなと思います(卒業半年前くらい)。
募集がなければそもそもアプライができませんので、まずはネットで片っ端から”疫学 就職”というワードで検索をかけていきます。
ヒットしたのは、
- 研究機関
- PMDA
- 製薬企業、シンクタンクなどの大手企業
- 医療大規模データベース系のベンチャー企業
の4種類でした。
私は、「家族と自分が幸せになるには、まず先立つものが必要」という考えがありましたので、給与水準の観点からは大手企業に目が向きました。
また、グローバル環境で、英語で働きたいというモチベーションもあったため、世界展開している外資系企業が第一選択となります。
となると、残るのはほぼ外資製薬のみということになるわけですね。
外資コンサルも検討していましたが、正直なところ「スペシャリティを活かす」というような環境ではないなと感じたため、候補から外しています(”コンサル経験がない者は、専門性によらず低いポジションからスタート”というコンサル業界の人材評価方法に全く魅力を感じませんでした)。
というわけで外資製薬を中心にして採用活動を進めたわけですが、結果的に受けた全ての企業からオファーを頂戴することができました。
外資製薬の疫学専門家ポジションが2ヶ所、医療大規模データベースのベンチャー企業が3ヶ所、コンサルが1ヶ所です。
どの企業様も面接中から「ぜひ来てください」という態度で接してくださっていたように思いますが、ここら辺はMPH時代に複数英語論文を書いて、「分かりやすく自分の強みを伝える手段」を作っておいたからだなと思います。
ご指導くださった先生方、先輩方には本当に頭があがりません。
就職先として、給与面で最も良い条件をつけてくださった外資製薬を選ばせて頂いております。
外資製薬に就職後
さて、ゲバラのモーターサイクルダイアリーズを観て、「強く生きるにはスペシャリティだ!」と思い至ってから3年、疫学専門家として、スペシャリストの端くれになることができました。
働き心地は大変よろしいです。
まず収入面ですが、1度目の外資製薬就職時にサラリーマンの平均年収分くらい給与が上がり、そして1年半後に別の外資製薬に転職した際も、同じ分だけ給与が上がりました。
2度目の転職時も複数の外資製薬・外資コンサルからオファーを頂戴できましたが、日本における疫学専門家の希少性ゆえに、かなり強気に待遇の交渉をすることをお許し頂けたと感じています。
良い条件を提示してくださった会社のおかげで、親や家族にしてあげられることが増え、本当に感謝しております。
また、憧れていたグローバル環境で仕事もできています。
1社目の製薬企業でも疫学専門家はグローバルと頻繁に会議があり、またグローバルから日本に出向していたメンバーもいたので、日常的に海外の疫学専門家と英語で働くことができました。
さらに、2社目では日本のローカルではなく、グローバルのポジションで直接採用して頂くことができたため、同僚は世界中に散らばっている疫学専門家であり、文字通りグローバル環境で働いています。
また、日本では企業所属の疫学専門家自体が非常に少ないため、「企業における疫学専門家の育成や、その専門性の発揮をどう展開するか」という視点で、基盤づくりを担う心持ちで働けています。
加えて、外資製薬はとても福利厚生が手厚く、自分や家族が病気になった際、そして自分に万が一のことが起こった際も、しばらくは安心して過ごせるだけの経済的支えを提供してくれます。
社員である私だけではなく、その家族にもしっかりと手厚いサポートを用意してくれており、「守られている」という気持ちのもと、日々穏やかな心で働けております。
上記は外資製薬での話ですが、疫学の専門性を評価して頂いた結果として、これに加えてアカデミアでポジションを頂戴することもできました。
製薬とアカデミアのダブルキャリア、アカデミアポジションについてはまた別の記事でお伝えしたいと思います。
終わりに
MPHに入学してからまだ5年も経っていませんが、MPHを挟んで私の人生は大きく変わったと感じています。
まだまだ駆け出しではあるものの、疫学専門家として思考し、会社に貢献する中で、「これが私の道なんだ」という使命感を感じ始めることもできてきました。
「やるべきことをやっている」という感覚です。
最初は「スペシャリストになりたい」、「英語でグローバルに働きたい」、「お金欲しい」という不純な動機で選んだ疫学という道でしたが、日々取り組んでいると、思い入れも出てくるものだなぁと驚いています。
これらは全て、MPH、疫学、そして何より丁寧で的確なご指導をくださった先生・先輩方のおかげですので、心からの感謝を示し、本記事を終わりにしたいと思います。
本日もご覧くださり、ありがとうございました。
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