こんな人におすすめの記事です。
- レセプトデータベースを使った疫学研究をやってみたい
- Real World Dataに関わる仕事に携わりはじめたけど、やり方がわからない
- 「レセプト病名の信頼性」に関して何の疑いも持たずに使用してしまっている
こんなお悩みを解決します。
結論からお伝えすると『レセプトデータの病名は信用してはいけません』。
信用してその情報をそのまま研究で使うと、誤測定バイアスという結果の歪みが発生することになります。
この記事は「なぜレセプトデータの病名を信用してはいけないのか」、そして「ではどうやって病名を定義すれば良いのか」ということを分かりやすく解説するよ
✔︎ すきとほるの実績
- レセプトデータを使った英語論文を筆頭著者として5本以上出版している
- 外資系製薬企業の疫学専門家として3年間にわたって医療データベース研究をリードし、社内のReal World Dataのトレーニングを行っている
本ブログは、私個人の責任で執筆され、所属する組織の見解を代表する物ではありません
なぜレセプトデータの病名を信用してはいけないのか
結論からお伝えすると、レセプトデータの病名を信用してはいけない理由は
レセプトとは何か
まず、「レセプトとは何か」ということから解説しましょう。
レセプトとは日本語で「診療報酬明細書」と呼ばれます。
下の図を例に説明しましょう。
医療機関は患者さんに保険診療を提供する代わりに、報酬として診療報酬の一部を受け取ります。
保険に加入している多くの方の自己負担割合は3割ですから、私たちは本来医療機関に払うべき報酬の3割だけを部分的に払うわけですね。
その後、医療機関は残りの7割の報酬を受け取るために、「私たちはこんな患者さんにこんな医療を提供しましたよ」という証明書とともに審査支払期間に対して請求を行います。
この証明書が診療報酬明細書、つまりレセプトなわけですね。
レセプトは英語でReceit、いわゆるレシートですね。領収書を渡して払い戻しを受ける感覚に近いかな。
レセプトの構造
そんなレセプトですが、サンプルがこちら(実際には電子化されているので、こちらはイメージを掴むための紙レセプトのサンプルです)。
このようにレセプトには
- 診療を行なった月
- 医療機関の情報
- 患者の氏名、性別、生年月日
- 患者の有する病名
- 患者に提供した診療行為および医薬品
などの情報が含まれています。
このレセプトが何百万、何千万人分も集められたのがいわゆる”医療大規模データベース”だよ
レセプト病名がつけられる理由
さて、先ほど説明した通り医療機関がレセプトを提出するモチベーションは「保険請求を行うため」です。
ほれ審査支払機関はん、ワイちゃんと癌の患者さんに対して抗がん剤処方してまんねや。きちんと残りの代金はろうてもらいまっせー!
ですので、そもそも保険請求を行うための診療行為・医薬品を提供していなければ、わざわざレセプトに病名を記載する必要はないわけですね。
たとえ患者が本当は色んな病気を持っていたとしても。
たとえば、癌と糖尿病に罹患している患者が病院を訪れたとしましょう。
患者は糖尿病の治療は近隣のクリニックで受けており、その病院には癌の治療のために訪れました。
すると、病院は糖尿病の治療薬を処方することはありませんので、糖尿病に対する保険請求の必要性も生じません。
すると、レセプトには癌の病名だけが記載され、糖尿病は記載されないことになるんですね。
すると、レセプトだけをみている我々には患者が癌にしか罹患していないように判定されてしまいますね。
電子カルテのように患者の管理を目的としていないので、患者の有する全ての病気を正確に記入するものではない。
レセプト病名が信用ならないもっと詳細な理由
そもそもレセプト病名は医師ではなく事務員さんが入力してる場合もある
レセプト病名は本来は診療を行なった医師が入力すべき項目ですが、医師が激務のあまりに入力されないまま放置されることが多いです。
しかし、そのままでは提供した診療行為・医薬品の代金を請求できませんので、医療機関はただ働きしたことになってしまいます。
そこで登場するのが事務員さん。
事務員さんは毎月のレセプト請求を細かく管理するスーパーマンたちで、医療費の請求漏れがないかどうかを鬼の細かさでチェックしてくれます。
レセプトの病名漏れや提供した診療行為・医薬品との間に矛盾があると、事務員さんは医師に疑義紹介をかけます。
先生、この患者さんは病名がないのに抗がん剤が投与されてます。
そしてこっちの患者さんは肺炎病名が入力されてるのに皮膚のお薬が処方されてます。
このままでは保険請求ができません。
そうして医師に確認して事務員さんが代理入力することもあれば、電子カルテの情報から「これだ」と思われる病名を入力することもあるでしょう。
事務員さんからすれば、大切なことは「保険請求の取り漏れがないように対応する病名を入力すること」であって、「患者の診療のために正確な病名を全て入力すること」ではないのです。
月末に担当科の責任医師が全患者のレセプト病名をまとめて入力することもある
レセプトは上記のように事務員さんが入力する場合もあれば、月末にまとめてその科の責任医師に入力が依頼されることもあります。
たとえば皆さんがその医師だとして、1ヶ月分のその科全体でみた患者の保険病名を正しく入力することはできますか?
ちなみに私は昨日の昼ごはんも思い出せないよ
なかなか難しいでしょう。
とすると、病名の正確性はある程度にしておき、「提供した診療行為・医薬品と矛盾が出ない範囲で病名を入力する」ということになります。
検査のためには病名入力が必要
医療機関で提供される検査の中には、その検査の保険請求を行うためには対応する病名の入力が必要なものがあります。
たとえば、癌の検査をするためには癌病名を入力しなければならないといったように。
この時、セオリーでは癌の疑い病名を入力します。
レセプト病名には疑いか確定かのフラグをつけることになってるんだ
しかし、もし医師が間違えて確定の癌病名を入力してしまい、さらに検査の結果として癌ではなかったとしたらどうでしょうか?
すると、本当は癌ではない患者がレセプト上は癌の患者として扱われてしまうことになります。
つまり、偽陽性ですね。
過去についた病名は削除されない
レセプトには病名の転帰を入力することができます。
治癒、中止などですね。
しかしながら、医療機関にはこの転帰を入力するモチベーションがありません。
その時々で提供した診療行為・医薬品に対して保険請求が行えればよく、病名の転帰を入力しても何ら経済的なメリットがないからです。
するとどうなるかというと、「10年前に入力された盲腸病名がいまだにレセプトに残り続ける」ということが起こります。
なぜなら、日本のレセプト制度では過去についた病名がそのまま次回のレセプトにも転記されるからです。
レセプト病名がどのくらい信用ならないのか
レセプト病名がどのくらい信用ならないのか、そして信用できる病名定義を作るためにはどうしたら良いのかということを確認するための研究があります。
Validation Study(妥当性研究)と呼ばれる研究です。
Validation Studyはこちらの記事で解説しています。
こんにちは、すきとほる疫学徒です。 このシリーズでは、アウトカムの誤測定がもたらす影響、誤測定を減らすための妥当性研究、PMDAによる妥当性研究のガイドラインなどに触れていくことで、「薬剤疫学研究において、なぜより正確なア[…]
簡単にいうと、「レセプトの病名と電子カルテの病名を比べて一致率を確かめる研究」です。
日本のレセプトデータ(正確にはDPCデータですが)の病名の妥当性を検証した論文があるので紹介しましょう。
筆者らは日本の4病院において電子カルテのレビューを行い、電子カルテの病名をゴールドスタンダードとして、レセプト病名がどれだけ正確に電子カルテ病名をあてられているのかを計算しました。
対象とした疾患はCharlson Comorbidity Indexという重症度指標の算定に使われるメジャーな19疾患です。
さて、上の図のSensitivity、Specificity、PPV、NPVというところに注目しましょう。
(これらの指標の意味はこちらの記事を参照ください)
こんにちは、すきとほる疫学徒です。 このシリーズでは、アウトカムの誤測定がもたらす影響、誤測定を減らすための妥当性研究、PMDAによる妥当性研究のガイドラインなどに触れていくことで、「薬剤疫学研究において、なぜより正確なア[…]
ここではSensitivityのみに注目しましょう。
これは、「真にその病気を有している患者のうち何%をレセプト病名で正しく見つけられたか」という指標です。
ご覧の通り、多くの疾患においてSensitivityが非常に低い、つまり真の患者を正しく拾えていないということが分かりますね。
例えば、
Myocardial infarction:52.2%
Cerebrovascular disease:50.0%
Dementia:37.5%
Dementiaの37.5%というのは、つまり「認知症の患者が100人いたら、レセプトで正しく認知症病名をふられているのは37.5人のみ」ということです。
あらためて数字で見ると、「全然信用ならないじゃん?!」って驚いたんじゃないかな
なんでこんなに病名の記録漏れが多いかというと、説明した通り「レセプト病名は保険請求のための病名で、診療行為を提供していなければわざわざ病名を入力するメリットがない」からだよね。
病名の測定間違いが研究にどんな影響を与えるのか
なぜここまで口酸っぱくレセプト病名の信用ならなさを強調するのでしょうか?
この歪みの影響をシュミレーションした研究を紹介しましょう。
この論文1では、ワクチンを推奨スケジュールで接種した小児に対し、非接種群/推奨とは異なるスケジュールで接種した群のそれぞれを比較群にし、アウトカムである疾患のリスク比を調査しました。
シュミレーションでは意図的にアウトカムの誤測定を発生させ、リスク比を算出しています。
ごちゃっとしていて分かりにくいですが、とりあえず
- 真のリスク比は0.5である
- Observed RRと書かれたところがアウトカムの誤測定の影響を受けたリスク比である
とだけ頭においておきましょう。
ご覧の通り、アウトカムの誤測定の影響を受けたリスク比は0.5からズレてしまい、酷いものでは2.73まで大きくなっているものがあります。
本当のリスク比は0.5なのに、歪められた結果を信じて医療の意思決定をしてしまったら、大変なことになるよね
さらに詳細に病名定義のズレの恐ろしさを知りたい方は、こちらからどうぞ。
こんにちは、すきとほる疫学徒です。 長かった薬剤曝露シリーズが終わり、次なるテーマとして薬剤アウトカムシリーズに入っていきたいと思います。 このシリーズでは、アウトカムの誤測定がもたらす影響、誤測定を減らすための妥当[…]
レセプト病名を正しく扱うにはどうしたら良いのか
さて、ここまででレセプト病名の恐ろしさは十分理解して頂いたと思います。
・レセプト病名と患者が実際に有する病名は大きく乖離している可能性がある
・この乖離を無視して研究をしてしまうと、結果が大きく歪んでしまうリスクがある
では、レセプト病名を正しく扱うにはどうすれば良いのでしょうか?
方法は大きく分けで2つです。
- Validation Studyを行い、より適切に患者の実際を反映できる病名定義を作成する
- 先行研究や疾病ガイドライン、実臨床の専門知識から妥当と考えられる病名定義を作成する
Validation Studyの場合は実際に妥当性の指標を数値として算出することで、病名定義の確からしさを確認します。
全ての病名に対してValidation Studyができれば完璧ですが、Validation Studyはとても長い時間と大きな予算を必要とするため、そう簡単にできるわけではありません。
そんな時は、先行研究や疾病ガイドラインなどの信頼できる知識をもとに「この定義ならレセプト病名を使って最も正しく患者の病名を定義できるだろう」という病名定義を作成します。
いずれの場合も、病名に加えてその病気に特異的に提供される検査や処置、手術、医薬品を組み合わせることで正しい病名定義を作成することを目指します。
ここで大切なのは「レセプトデータを使って研究ができるのは、正しく病名を定義できる時だけ」である。
レセプト病名についてさらに勉強したい方はこちらの記事もどうぞ。
病名定義の誤測定のタイプや、それぞれが結果にもたらす影響、そしてValidation Studyに関してさらに詳細に解説しています。
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